Thirst

大葉を偏愛する身でありながら、この9か月間に渡り、一枚の大葉も手に入れることができなかった。決して実現できない夢だということが分かっているにも関わらず、「いま、このパスタに千切りの大葉を散らせたら、どんなに嬉しいことだろう」とか、「これに大葉とチーズを挟んで揚げたら、今日の夕食はどれだけ幸せになることだろう」などといった想像を巡らせずにはいられなかった。

その苦しさを乗り越えてきたうえで、現在の私が食べている「ゆかりごはん」は、いつでも日本のスーパーに行ける人の食べる「ゆかりごはん」より数百倍は旨い。本当に旨い。ひやごはんでも旨い。精神を病みそうなほど旨い。乾ききったスポンジが音を立てて水を吸うように、脳が満たされていく。

食べ物に散財できる金持ちというのは、やはり可哀想だ。これほど旨いものは少しも食べられないのだろう。でも本人は美味しいものを食べているのだと信じている。まったく気の毒でならない。せめてもの慰めに、「いまの私がゆかりごはんで得られている喜びの成分」だけでも彼らの脳に送ってあげたいけれど、これほど高度なものを「欲望と渇望の区別もついてないレベルの人」に与えたら、うっかりショック死させてしまうかもしれない。