帰る場所

本日の業務。翻訳1本。オバマ政権は自由な暗号化を推進するのか? という記事。非常にタフな内容だった。

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自分の立ち位置が分からなくなったとき、自分の仕事に空しさを感じたとき、いつも読みかえす記事がある。2013年6月、Trevor Pott 氏が The Register に記した意見記事だ。

この記事を読んだのは、私が The Register の翻訳に携わってから半年あまりが経過した頃だった。当時の私は、「サイバーセキュリティ業界ってのは、どうも小難しくて、選ばれた天才だけが活躍してるような雰囲気があって、政治的な話が必ず絡んできて、そのうえ軍事産業っぽくて、いちいち絶望的な気分になるから、基本的に私とは少しも相容れない世界なのだよなあ」と感じつつも、その仕事をしていた。

その長い長い記事を翻訳しながら、私は泣いた。わんわん泣いていた。「この時代に、一人一人の市民が自分のデータのプライバシーをあきらめること」が、一体どういうことなのかを初めて考えた。なぜインターネットのセキュリティというものが、これほど悲惨な状況になってしまったのかも私なりに理解した。クビになるまで、この仕事を続けたいと思った。そしてエドワードスノーデンが初めての内部告発を行ったのは、この記事が掲載された直後のことだった。

私の翻訳文も、実はWEBに全文掲載されているのだけれど、なにしろ経験が非常に浅かった頃の仕事なので、いま読むと恥ずかしい。だからリンクは貼らない。でも、ほんの一部だけ転載する。

そういったことを我々が心配するのは、あたかも性格が疑り深いせいであるかのように思わせ、それは罪深いことだと我々に感じさせる目的で設計された販売活動を、エンドユーザーたちは受け入れている。テクノロジー企業──そしてテクノロジー誌、リポーター、ブロガー──がプライバシーの概念にどっさり与えた嘲りは、あなたが「自分のデータを自分で制御したい」と願うことを排除するものを作ってきた。(中略)もはや我々のデータは完全に我々の管理下にはない。我々はユーザーとして、その管理に携わる全てのリンクを調べ、「我々のデータにアクセスできる可能性があるのは誰なのか、また、どのようにアクセスされるのか?」を自問しなければならない。我々が明示的に許可しない限りは、どのような理由であれ、決して我々以外の誰も我々のデータへアクセスする権利を持たないと保証する措置が取られるよう、我々は要求していかなければならない。