誤訳と向き合う姿勢

本日の業務。翻訳 1本。以上。

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数日前から、ときどき時間を見繕っては読みふけっている素晴らしいサイトがある。「翻訳のさはり—英文和訳のコツ」だ。

私は非常に傲慢かつ面倒くさい性格なので、誰からも翻訳のイロハを教わらず、一冊の教本も読まずに翻訳の仕事を始めてしまい、いかなる翻訳ソフトにも手を出さず、親切な経験者のアドバイスはことごとく無視した挙げ句、憎まれ口を叩いてきたような屑人間なのだけれど、このサイトに関してだけは「なるほどなあ」と思わされるところが多かった。

というよりも、この著者さんの屈強な精神力に痺れている。たとえば「誤訳例」のページでは、過去に自身の犯した翻訳ミスを大量に取りあげ、その誤訳の理由について考察している。なんて格好いいんだ。

私などは、自分の翻訳ミスに気づいたとき、枕を抱えて床を転がりながら、なんとか無かったことにできないだろうか、過去を書き換えられないだろうか、読者さんの受信フォルダに入っているデータを一つ一つチクチクと直す方法はないのだろうかと悶々とするばかりなのだけれど。この方は、わざわざ自分でそれを取りあげたうえ、何が間違っていたのかを丁寧に解説している。こういうことをできる人が私は好きだ。そのページには以下のような記述がある。

もちろん迷うところもある。また筋の流れから、こういうことだろうと当てずっぽな所も出てくる。当然、誤訳が生じる。だが自分はそう思い込んでいるから気づかない。2~3か月たっても、日本語訳を見る限り、間違っていると思わない。

これが1年ぐらいたって改めて原文を読みなおすと、“あっ、やっちゃってる”と誤訳がわかり愕然とする。時間が立たないと自分では分からない。脳回路がリセットされてはじめて誤訳に気付く。

他人の訳は、ちょっとおかしければすぐ気がつく。しかし自分の誤訳はなかなか分からないし、他人から誤訳を指摘されても、自分はそう思っていないから認めたくない。いろいろ言い繕って正当化しがちだ。翻訳とは、そんなやっかいなしろものである。(http://www.saturn.sannet.ne.jp/okku/Principles/mistranslation/mistranslation.html より引用)

私が胸に溜め込んできたイイワケを見事に代弁してくださっている。そしてなにより、「自分は間違えを認めたくないこと」を自分で認める潔さが美しい。たぶん私は、「経験の浅い翻訳者として勉強になるから」このサイトを読みたいのではない。この著者さんが人間として格好いいから、もっと読みたいのだ。どこのどなたなのかは全く存じないのだけれど。

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【本日、アップロードされたお仕事】 翻訳 1 本