オオハシの話を。
オオハシは日本の動物園(および植物園の熱帯館)で、これまでに何度も何度も見てきた。ついでに言えば、日本に密輸入されて保護されたのちに飼育されている個体も見たことがある。彼らに会うたび、なんて格好いいんだと感動しつつ、いつも複雑な気分になっていた。猛禽にせよ、オオハシにせよ、見るからに行動圏面積が広大そうな鳥が飼育されている様子を見ると、どうも心が痛む。そんなこと言ったら何も飼えないだろうがよ、と言われるかもしれないけれど、なにしろ大型の鳥は寿命が長いのが気の毒だ。何十年もずっと、狭いところに閉じ込められて、まともな飛翔もできないストレスを抱えたまま、悲しげに空を眺めて暮らしているのではないかと思うと、なんだか辛くて辛くていたたまれなくなり、もう展示も研究もやめちまえ、人間みんな死んじまえ、灯油まいて燃やしちまえ、地球おわっちまえという気分になってしまうのだ、まるで初めて「ぼろぼろな駝鳥」を読んだときのように。
というわけなので、今回は「コスタリカでオオハシを見られたら非常に嬉しいけれど、見られなくても一向に構わないし、そのほうが嬉しいかもしれない」というぐらいの考えだった。野生のオオハシには人に近づいてほしくない、そんなに簡単に見つからなくていい、観光客のために餌付けされていたら悲しい、コスタリカまで来てそんなものを見るぐらいなら見られないほうがマシだと、そう思ったのだ。
私が初めて見た野生のオオハシ、つまりサラピキに到着した初日の夕暮れに見たオオハシは、空を飛んでいた。そのときの私はロッジに向かって歩きながら、ヤドクガエルを探して地面をじっと見つめている最中だった。とつぜん、聞いたことのないきょぽきょぽとした不思議な鳴き声が背後から聞こえて、振り返ると、森の中から大きな鳥が飛び立つのが見えた。そのシルエットが完全にオオハシだった。とんでもなく大きなクチバシの先が進行方向を指してない。つまり、- とか < とか < とかではなくて、下を向いている。そんな飛翔のシルエットがあっていいのか、と驚いた。まあ冷静に考えたら、そういう鳥は他にもいっぱいいる。でもクチバシのサイズが桁違いなので、「先端が下に向かってカーブしてますよ」という点が、遠くから見た飛行中のシルエットでも非常に目立つのだ。すてき。
オオハシの表情は、どうも呑気そうに見えるので、あまり人間を怖がらず、のんびり果物をかじりながら暮らしているのではないか、ひょっとしたら意外と簡単に撮影できてしまうのではないかと心配していたのだけれど、杞憂だった。これは、かなり撮りづらい。よかった。
他の場所がどうなのかは知らないけれど、少なくともサラピキのオオハシは、だいぶ神経質だった。トレイルの樹木に止まって果実を食べることはあっても、オウムのようにいつまでもいつまでも食わない。食事中もこまめに移動するし、周囲を気にするし、短時間で飛び立ってしまう。飛行距離も長いから追いかけて撮れる感じでもない。しかも、なるべく高い位置にいようとする(つまり人間が見上げても、枝や葉っぱの向こう側になりがち)。というわけで撮影は難航した。はっきり言って、一眼+明るい超望遠レンズでなければ、どう考えても無理ではないかという気がする。それが嬉しい。
11月21日以降に宿泊したロッジはホテルのような場所で、宿泊客を楽しませるためのバードテーブル(ただしフルーツのみ)まで設置されており、そこには常に鳥が集まっていて、興ざめするほど入れ食い状態だった。「ここにはオオハシも来ますか?」と尋ねたら、「オオハシは決して来ない。とても警戒心が強い鳥だからね」との答えが返ってきた。そのあと「聞いてた? 僕は『来ない』と言ったんだよ? なぜ、そんなに嬉しそうなんだ?」と言われた。
コスタリカで観察できたオオハシは 3 種類だった(たぶん)。期待以上です。幸せです。ありがとうございます。