Its Duty

「いったん上げた生活のレベルを下げるのは大変なんだから」みたいなことを言う人がいるけれど、そんなことはないと私は思う。

5 年前は、札幌の一等地っぽいところにある 4LDK の高級マンションに 2 人で住んでいた。一杯 1200 円のコーヒーなんかも、たまに飲んでいた。ときどきジムに行ったりもしていた。読みたい本や漫画は片っ端から買えた。家は本棚だらけだった。あれはあれで楽しい経験だったと思うけれど、あの頃のような生活をしたいとは少しも思わない。浴槽もないワンルームのボロい地下室のほうが、ずっと居心地がいい。こんなところに住む中年になれたことが楽しくて仕方ない。死ぬまでキャンプをしてる人になったような嬉しさだ。高いメシだって、しばらく食べなくなってみたら、すっかり「馬鹿みたいなもの」「頭の悪そうなもの」に見えるようになってしまった。たぶん私には元々、こっちのほうが合っていたのだろうと思う。

それでも、ただひとつだけ例外がある。あれが使えなくなって生活が辛い、と本気で思っているものがある。食洗機だ。

バンクーバーに来た直後に一度だけ、大きな食洗機のついている部屋に住んでしまったことがある。6 リットルのカレー鍋と一緒に、まな板やフライパンやカレー皿やサラダの皿も余裕で入ってしまうサイズの食洗機だった。あれのある生活を経験してしまってからというもの、日々の食器洗いが苦痛で苦痛でどうしようもない。もともと嫌いな作業ではあったけれど、いまでは死にたくなるほど辛い。なぜ、あれが全ての家に設置されていないのか理解できない。いまと同じ家で、あのサイズの食洗機が再び利用できるのなら、月に 2 万円ぐらい家賃が上がっても構わない。

あれは私から見て、冷蔵庫に次ぐ重要な家電だと思う。まして世界中で水不足が叫ばれている中、なぜもっと積極的に導入していかないのだろう。「狭いから」なんて理由にならない。場所が足りないというのなら洗濯機を持って行ってくれ。洗濯なんて週に 1 回で済むのだから、そっちを手でやるほうが全然いい。それに比べて食洗機は 1 日 3 回、中途半端な立ちっぱなしの作業を代行してくれる。週に 21 回分、月に 90 回分の苦痛を肩代わりしてくれるんだぞ。

しかも。しかもだ。人間にとって最高の時間、つまり全ての食事を終えて、脳も腹も充分に満たされて、このまま世界が終わっても構わないと思ってしまうような、あの切ないほどの幸福感に包まれる素晴らしい時間を、鍋やら食器やらを洗う作業に邪魔されなくていいのだ。あの面白くもなんともない立ち仕事、やりがいもなければ軽い筋トレにもならない、終わったところで少しの達成感も得られない、時間的にも非常に中途半端な作業から逃れられる。あんなにも素晴らしい家電は、そうそうないんじゃないのか。

(たまに「一人分の食器洗いなんて 3 分かそこらで終わるのに」という人がいるが、どういう料理をしたらそんなことになるのか、まったく想像できないので無視させていただく。ちなみに私の食器洗いは軽い朝食なら10分、ちゃんとした夕食なら20~30分かかる)