Snowden’s speech in Vancouver

生のスノーデンをネット中継で見られる貴重な機会があったので、久しぶりに更新してみた。このイベント、できることなら仕事として取材を申し込みたかったのだけれど、なにしろカナダの大学が開催している非商業的なイベントなので無理だった。そのあたりのことについて詳しくは書かない。ただ、「それどころの雰囲気ではなかった」とだけ書いておこう。というわけで今回は、仕事の原稿では決して書けないような、ものすごく下らないレポートにしたいと思う。

*

2016年4月5日、SFU 主催によるエドワード・スノーデンの講演イベントが、バンクーバーの Queen Elizabeth Theatre で開催されると聞かされた。もちろんスノーデンがカナダに入国できるはずもないので、ネット中継の出演となる。内容について調べてみると、「講演」というよりも、どうやらスノーデンが司会者と会話したり、質問に答えたりするらしい。それは行かなければなるまい。スノーデンがCGじゃないかどうか、彼の背後に立って銃を突きつけているロシア人がいないかどうかを確認しなければなるまい。そんな使命に駆られた私は、友人J君の助けも借りて、無事に一階席のチケットを入手することに成功したのだった。

そのイベントの会場となった Queen Elizabeth Theatre は、チャイナタウン駅から徒歩数分の便利なエリアにある。席数 3,000 弱の、普段はライブやコンサートなどに利用されているホールだ。今回、一緒に参加してくれたJ君 (とても日本に詳しい工学科の学生さん) が、入場待ちの列に並んでいるときに話してくれた説明によれば、数年前に X-Japan がバンクーバーに来た際も、この会場でライブを行ったのだそうだ。「そのライブ、僕も参加したんです」 「へえ、こんなにいっぱい人が集まるの?」 「いえ、けっこう空席がありました」 「そうか」 などと言ってる間に入場開始。

イベント中の動画撮影はNGだったものの、写真撮影、およびスマホの利用は許可されていた。というより、ステージ上の大きなスクリーンにはハッシュタグ(#Snowden #BigData)が表示されていて、会場からの生ツイートを推奨している状態。

P1060239

さっそくツイッターで検索すると、少しずつ角度の異なった同じような写真付きのツイートががんがん並んでいる。せっかくなので、私も鍵をかけていないアカウントにログインし、スノーデンへの質問をツイートしてみた。しかし、ここでセキュリティ系ライターの持病ともいえる、不安障害のごとき被害妄想に取り憑かれる。「わざわざ目をつけられるようなことをしてどうするんだ。何かのリストに載ってしまうぞ」と考え、すぐさまツイートの削除を決意する。しまった、すでにお気に入りのハートが2つついてるじゃないか。誰だか知らないけどごめんなさい、消します、ごめんなさい。

(ちなみに私が送った質問の内容は、「カナダ政府が Five Eyes との情報シェアを中止すると発表したとき、あなたはどのような感想を持ちましたか?」という無難なものだった。2つのハッシュタグ、および SFU の指定したアカウントが長かったので、文字数の制限が厳しかった。英語の240文字って、日本語で書けることに比べるとすごく短い)

そうこうしている間に開演時間となって、スケジュールどおりにイベントが始まる。まずは、ちょっとした儀式が行われる。これについては詳しく書きたくないから書かない。ただ、「参加者全員が手を繋ぐ」という、他者とのコミュニケーションをほとんど必要としない地下暮らしのライターにとってはハードルの高い内容があったことだけは記しておこう。

その後、司会者によるスノーデンの説明が行われる。ものすごく普通の説明だ。そんなのいいから、みんな知ってるから、とっととスノーデンを出せよという気持ちが募る。しかし司会者は、カンペを見ながら延々と説明を読みあげていく。「彼のツイッターアカウントは200万人近くの人々にフォローされています。しかし彼がフォローしているアカウントは、たった一つだけ……それはNSAです」などという勿体ぶった言い回しに、ますます苛立たされる。しかし会場からは笑いが起こっている。ちょっと待て。そんなの、ここに来てる人なら全員が知ってることじゃないのか。知ってるのに笑ってあげるのか。みんな優しいな。その優しさを、私はどこに置き忘れてしまったんだろう。

そんな司会者の説明にも、一点だけ興味深い話があった。それは、「当イベントのチケットは販売開始から 5 時間で売り切れになった」というエピソードだった。長い長いカンペを読み終えた司会者が、ようやくスノーデンに呼びかける。舞台に設置された大きなモニタいっぱいに、スノーデンの笑顔が映し出される。おお、リアルタイムのスノーデンだ。さんざんウェブで見てきたのと同じ顔だ。なんだか普通の人みたいに挨拶してる。想像していたよりも喋りが軽い。

それは特に何の意外性もない光景だった。それでも私は異常に興奮していた。なにしろ 2013 年の初夏からずっと、私は彼に関するニュースを何度も翻訳し、何度も彼をネタにした記事を書いてきたのだから、本人の動いている姿に感激するのも当然のことなのだ。

このとき、まだスノーデンは簡単な挨拶をしただけで、何も話をしていなかった。それでも会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。みんな席から立ち上がって手を叩いている。指笛を慣らしている人もいる。その喝采は 30 秒ほど、もしかしたら 1 分ほど続いたのではないかと思う。

ここが、このイベントのハイライトだった。

それでいいと思う。私としては、この瞬間に立ち会えただけで満足だった。彼に拍手を送る観衆の一人になるために、私は今日ここに来たのだ。ルーベンスの絵を見たネロのような心境だった。だから愚痴を言う必要なんてどこにもないのだ。もう書くのを止めてしまいたいような気もする。でも、ここは原稿料が発生しないブログなのだから、このあとのことについても正直に書いておこうと思う。

P1060321

※ ここから先はほとんど愚痴なので、ネガティブなものを読みたくない方にはお勧めしません。また録音が許可されていなかったうえ、真っ暗でメモも取れなかったので、細かい記憶違いが多々あるかもしれません。その点を何卒ご了承ください。

 

スノーデンが映し出されたときの熱狂はさておき、その後のイベントの内容は少々退屈だった。もちろんスノーデン本人の口からリアルタイムに語られる「表現の自由」「思想を持つ権利」「違法性の高い監視」などの言葉は、非常に重みがあったと思う。彼のスピーチは充分に素晴らしかった。しかし、それでもあえて恐れながら申し上げると、それ以外のトーク、特に「司会者やパネラーたちとの会話」の中で語られた内容は、これまで彼のことを少しでも追いかけてきた人間にとっては、かなり聞き飽きたような話が多かったのだ。

たしかにタイムリーな話題として、パナマ文書に関する言及もあった。しかしそれは彼が 2 日前にツイートした内容に、より分かりやすい言葉 (たとえば「このパナマ文書の事件は、ますます告発者の重要性を明確にする出来事だった」というような率直な感想)が足されただけという感じだった。もっとはっきり言うなら、「インターネットの監視やプライバシーに興味を持ち始めた学生向け」の内容であるように思われた。米国の英雄であり、裏切り者でもある世紀の告発者、世界中から激しく憎まれ、同時に尊敬されている「お尋ね者」に、わざわざウェブカメラを繋いで語らせるような話なのだろうか、という疑問がふつふつと沸き上がるのを止めることができない。

そして何よりも酷かったのは、モニタの使い方だ。

この舞台には 3 つの大きなモニタが設置されていて、基本的には「中央のモニタにスノーデンを映し、左右には舞台上の人物を映す」という形で使われていた。しかしイベントの途中、舞台に座るパネラーが 3 人になった頃から、完全にモニタの使い方がおかしなことになっていた。こともあろうか、中央のモニタを「表やグラフの表示」に利用し、両サイドのモニタに 3 人のパネラーを映すという構成になったのだ。つまり、表やらグラフやらがダラダラと表示されるたび、スノーデンが見えなくなるのだ。それはスノーデンがいなくなるのと同じだ。我々はモニタを通してしか彼を見られないというのに、その生映像を潰してしまうというのは、何の冗談なのだ。

彼の姿が見られぬまま、声だけ聞こえる時間が何分も何分も続く。それは「あのスノーデンと会場がカメラで繋がっている」という貴重な状況の 1 秒 1 秒をドブに捨てつづけているような、苦痛を伴う時間だった。なぜ、これほど愚かな判断をしたのか。どうしてもグラフを中央に表示したいというのなら、せめて両サイドのモニタにスノーデンを映してほしかった。なぜ、ぼけーっと話を聞いてるだけの 3 人が映っているのか理解できない。百歩譲って、「どうしてもパネラーの 3 人を見たい」という珍しい客がいたのだとしても、そいつは舞台の上を見ればいいだけなのだ。だって彼らはそこにいるんだから。そこに現物がいるんだから。それをわざわざ映す必要がどこにあるんだ? だって我々が見たいのはスノーデンだろ? なにしに来たと思ってんだ?

さらに言えば、彼への質問のほとんどが退屈だった。「どうすれば私たちは国の検閲からプライバシーを守れるのでしょうか?」とか、そういうアホみたいな質問をするのだ。「全ての通信、たとえばお菓子のレシピみたいに『読まれても構わない情報』も含めて、とにかく全てのユーザーが全ての通信を暗号化することが大事」とか、そんなの過去にスノーデンがさんざん言ってきたことだろ。相手が主張したい言葉を、わざわざ引き出すような質問ばかりするってのは、そんなのはホステスが客に気持ちよく話をさせるためのテクニックじゃねえか。「……あれ。この話って、前にもしなかったっけ?」「いいの。知ってる話でも、あなたが話してくれることが大事なの」「でも、同じことを何度も言うのは年寄りみたいで恥ずかしいな」「そんなことない。何べん聞いても面白いから、私、ぜんぜん飽きないもん」みたいなあれか。何のアピールだ。お前はスノーデンの愛人にでもなるつもりか。しまいにゃスノーデンも、「Tor を使おう」だって。答えるほうも答えるほうだよ。

これは、あのエドワードスノーデンとカナダの人々が通信できる、初めての機会だったはずじゃないのか。なぜカナダの前政権・現政権と Five Eyes の話を突っ込んで訊かないのだ。なぜカナダの諜報機関の話をもっと具体的に掘り下げないのだ。なぜだ。

あまりに苛立たされた私は、途中からスマホを弄りはじめてしまった。なんだか頭がくらくらしていた。こういう質問が続くぐらいなら、「ロシアではどういう食事をしてるんですか?」レベルの、本当にバカな質問をしてくれたほうがいい。私は答えを知らないから是非とも聞きたい。「ボルシチは好きですか?」でもいい。「アサンジと自分と、どっちがハンサムだと思いますか?」でもいい。そうだ、もしも私がいまここで立ち上がって、「自分とプーチンが仲良く風呂に入ってるコラージュを見たとき、どう思いましたか?」って大声で訊いたらどうなるだろう。

そんな妄想に身を任せているうちに、スノーデンの講演は終わった。

講演後、J君(およびJ君の友人)とラーメンを食べているとき、大事な種明かしを聞かせてもらえた。どうやら SFU の学生の一部には、今日のチケットが無料で配布されていたらしい。その 5 時間で売り切れたチケット、スノーデンファンの知人たちが「悔しい、手に入れられなかった」と嘆いていた貴重なチケットは、おそらくスノーデンにそれほど関心のなかった学生、「人権やら何やらに関する講義でスノーデンの説明を聞いたあと、有名人を見ておこうと思った学生」にも渡っていたようだというのだ。

「僕の友達がそう言ってたんですよ」という噂話なので、信憑性のほどは分からない。しかし、それを聞いたときに私は「なるほど」と思った。このイベントは、主催者である大学にとって、豪華な課外授業に過ぎなかったのではないかと。そういうことなら合点がいくのだ。これまでの彼の功績(あるいは謀反)をなぞるような全体の構成も、彼の主張を改めてリピートさせるような質問も、「そういう授業にしたかった」「学生に何かを学んでほしかった」のなら非常に出来が良かったと思う。

しかし、それは必死でチケットを買った一般客に対して失礼ではないのか? いっそクローズドでやればよかったんじゃないのか? とはいえ、学生だけを聴衆としたイベントならスノーデンは出演しなかっただろう。我々は都合よく利用されたんじゃないのか? いや、しかし、彼らが主催してくれたからこそ、我々もカメラ越しのスノーデンを見ることができたのだ。お互い様なのだろう。そんなことを思いながら、私は「カナダに初上陸した二郎系ラーメンショップ」のラーメンを黙々と食べた。それは噛みごたえのある太麺ではあったものの、二郎系と呼ぶにはあまりに麺の量が少ないのだった。

……ええと。これだけ文句を言ったので、いまさら何を言っても無駄かもしれませんが、このような珍しい機会を設けてくださった SFU には、やはり感謝しているのです。本当に。