Sneaky

うんと嫌われるかもしれないようなことを書く。

私はけっこう狡いところがある人間なので、「この人はまったく信用に値しないのではないか」と本気で疑わしく思った相手に対して、ちょくちょく引っかけの会話を使ってしまうことがある。たとえばこちらの勘違いや記憶違いを装ったうえで想定外の状況を作り、相手が「その状況に応じた嘘」をつくかどうかを観察する。

ああ、やっぱりこいつ全然ダメだ、深刻そうな顔で調子のいいことを喋ってるだけの大嘘つきか、途方もないバカか、ただの悪人か、どれかだ。などと一度だけで決めつけるのは申し訳ないので、つい何度も何度もネタを変えて試してしまう。いちど引っかかった人は、面白いぐらいに何度でも引っかかる。

人を試すというのは卑劣な行為だ、こんなことはするべきではない、もうやめよう。そう思いたいのは山々なのだけれど、そのように思えない理由が二つある。

  1. それを機会に疎遠となった人々の現在の状況を確認すると、どいつもこいつもクズみたいになってるので、早めに距離を置いて良かった、と過去の自分に感謝するばかりで、どうにも反省できない。
  2. 実際に試した相手は、これまで全員が引っかかっている。つまり、私が「試してみよう」と思う相手は、その時点で充分すぎるほど疑わしい人物であるため、結果として「自分の疑惑が確信に変わっただけ」で、あまり罪悪感を抱けない。

ひょっとしたら、これは「ペテン師であるか、まともな人であるか、あるいは大馬鹿者であるかに関係なく、どんな人であっても引っかかるようなふるい」なのかもしれない。ただ単に私は、別れの儀式として、それを用いている可能性がある。