これは何度でも言おう。カナダに住んでいる日本人の方々から、「北米のケーキはまずい」とか「日本のケーキが恋しい」とかいうような意見を聞かされる機会があるけど、私はどっちもいらない。東京のいまどきのケーキは、みんな同じような洗練された味だから、別に食べたくない。「はあ、美味しいですよね」で終わってしまうからだ。誰がなんと言おうと、私には昭和の卵とミルクくさいケーキ(バニラビーンズではなくバニラエッセンス使用)がいちばん旨かった。
「甘味」について思うことがある。人間は、自分の食べ慣れない甘さに対して過剰に反応を示す傾向があるのではないだろうか。私にとっても、北米のケーキは厳しい。カップケーキなんて、砂糖を入れすぎたスポンジの上に、砂糖を凝縮したクリームが乗っているように感じられて辛い。ここいらの伝統的なお菓子、ナナイモバーも、口に入れただけで歯が溶けるんじゃないかと思った。本当に死ぬほど甘い。実際に北米のデザートは甘すぎるのだと思った。しかし最近になって気づいた。
どうもウェブの掲示板などを見ていると、いろんな国の人たちが、他国の伝統的なデザートを食べては「甘すぎて食べられない、味覚が狂ってる」と大騒ぎをする様子が見受けられるのだ。日本も、そこで揶揄される対象のひとつとなっていた。もしかすると、そういうものなのかもしれない。たとえば生まれて初めて「おしるこ」を食べた他国の人が、どんな反応を示すのかはなんとなく想像できる。もしかしたら、トーストなしでジャムを飲まされているような感じなのかもしれない。餡子の善し悪しに到達するより前に「甘みしかねえ!」「砂糖の味しかねえ!」「甘さが舌にまとわりついて離れねえ!」というショックで全てが吹き飛ぶかもしれない。
まったく新しいタイプの、それでいて一部の人にはすっかり慣れ親しんでいるタイプの甘みを理解するには、ある程度の慣れが必要なのではないだろうかと思う。そういえば私が子供だった頃、もう20年以上前、東京の有名なケーキ屋にインタビューをした特集記事を読んだことがある。そこで回答していた人々の多くは、「フランスで修行をして、同じ味を提供したけれど、甘すぎると言われたので日本人向けにアレンジしている」と答えていた。いまの日本なら、そのままの味でも大丈夫なのではないかという気がする。もうフランス系の菓子の甘さには慣れてきたからだ。でも北米風の、たとえばカップケーキやレッドベルベッドケーキなんかに漂っているような甘さは本質的に厳しい、というのも当たり前だという気がする。インド料理店のデザートで出てくるやつ、ドーナツをシロップ漬けにしたようなアレ(名前は知らない)も、なんでここまで甘くする必要があるんだと感じるけれど、いったん慣れてしまえばお汁粉ほど厳しい甘さではないのかもしれない。
何が言いたいのかというと、慣れないものを食べてわーわー馬鹿みたいに騒ぐもんじゃないよ、それを食べ続けてきた人々を無益に傷つけるような真似はするもんじゃないよということだ。自分も含めて。