La Selva Biological Station の話

コスタリカで3泊を過ごした La Selva Biological Station の話をさせていただきたい。

1,600ヘクタール(16,000,000 平方メートル)の広大な森に何本ものトレイルが走る La Selva Biological Station は、熱帯性の動植物を研究するための非営利組織 Organization for Tropical Studies が運営している施設で、そこには世界中の生物学者、研究者、学生たちが集まっている。この敷地のゲートをくぐるためには許可が必要となるのだけれど、事前にロッジ宿泊の予約さえすれば、一般の人間でも好きなだけ歩き回ることができる。近隣にレストランや飲食店はないので(飲み屋が一軒あるらしいのだけれど行く機会はなかった)、一泊 80 ドルほどの宿泊料金には、「1 日 3 回、食堂で提供される食事」の料金も含まれている。つまり、ここに宿泊している人々は、基本的には外に出ない。

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宿泊したロッジ。右端の部分に泊まった。大きめのベッドにトイレとシャワールームがついている簡素な部屋。シャワーは温水も出るようになってるけど、たまに水しか出ない。

一般客が宿泊できるロッジは、受付や食堂のあるエリアから 1km 離れている(研究者さんたちが宿泊する施設とは別の建物)。この「1km」も森のトレイルなので、食事をするためには森の中を往復 2km 歩かなければならない。もちろん照明などはないので、夕飯のときは懐中電灯が必須となる。
(ただしロッジのすぐ近くには駐車場もあるので、車で来ている人は、敷地の外側にある片道 2 km ほどのダートの道を選べば森の中を歩く必要がない。バズーカレンズと一緒に行動している葉さんは、もちろん車だ)。

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食堂へ向かうトレイルの入り口。かなり細い道だけど、ちゃんと舗装されてる。ただし、ここから樹木の数が増えて、どんどん暗くなっていく。(昼に撮影)

少し森に入ると、道を横断するハキリアリの姿に気づく。足下を小さな葉っぱのかけらが行進しているのだから、どんなに注意力の足りない人でも気がつく。この道を延々と歩いている間、まず人に会うことはない。

夕飯のあと、この真っ暗な道を一人で歩くのが最初は怖かった。ジャガーやピューマのような危険な大型哺乳類が現れることは滅多にない(過去に数回しか観察例がないほど少ない)のだけれど、クビワペッカリー(イノシシに似た哺乳類)などは普通にガサガサと歩いているので、けっこうビビる。噛まれたらすぐ死ぬ猛毒のヘビも、昼間にはちょくちょく見かけていた。あれを夜中に踏んだら、たぶん私は死んでしまうのだろう。ときどき「なんの声だか分からない生き物の声」が響く、真っ暗な道を初めて歩いたときは、なぜ私はこんなことをしているのだろう、まるで罰ゲームじゃないかと思ったりもした。だからとにかく脇目もふらず、ヘッドライトと懐中電灯の両方を使って、自分の足下だけを照らしながら、ひたすら緊張したまま小走りで帰った。まったく何も見なかった。

しかし 2 日目の夜には心に余裕ができたので、ゆっくりと周辺を照らしながら、雨上がりの森を歩くことができた。落ち着いて観察してみると、夜の森のトレイルは、まったく美しすぎた。くらくらした。「幻想的な美しい暗闇」と、「ひとりぼっちの緊張感」の相乗効果で、どうしようもないぐらいに心臓が高鳴る、たいへん刺激的な時間だった。前日の夜を無駄に歩いてしまったことを心の底から後悔した。

たとえば歩道の両側をヘッドライトで照らすと、きらきらと輝きを返す無数の光の玉が地面に落ちている。近づいて見ると、それはすべて体長10センチほどのカエルの目なのだった。まさか、これほどおびただしい数のカエルがいるとは考えもしなかった。昼間にさんざん見たはずのハキリアリの姿も、夜になると別の美しさがあった。ライトに照らされた数百の緑色の破片が、それぞれひとつずつ揺れながら、真っ暗なトレイルを横断しているのだ。幻想的にも限度ってもんがあるだろ、と言いたくなるような光景だった。それを覗き込もうとする私の目の前を、小さなホタルが横切る。はっとして見上げると、鈍い光を持った小さな小さな虫たちが音もなく頭上を飛び交っていることに気づく。その微かな光が、ライトに照らされた霧雨の光の粒に混じる。ああ、なんだこれは。こんなに綺麗なら別に死んでもいい。っていうか、もう死にたい。そんな気分にもなってしまうぐらいだった。

そんな夜の森で、歩道の両脇を照らしながら歩いていた私は、斜め前方に「無数のカエルの目よりも、ひとまわり大きい光」があるのに気づいた。丸くて強い光だった。同じ大きさで 2 つ並んでいる。「すごく大きい蛙?」などと訝りつつ近づいていった。そこにいたのは、どう見てもヨタカだった。まるで道ばたにポトンと落ちているような感じで、ヨタカが座り込んでいる。しかし私は、コスタリカにヨタカがいるのかどうかもチェックしていなかった。夜行性の鳥など、どうせ特別な照明設備や事前情報がなければ見られるわけがないのだと思って、そのあたりのページは完全に読み飛ばしていたのだ(ちなみに私は、日本国内ですら、事前に見られるポイントが明確だったシマフクロウ以外、夜行性の鳥を一種も見たことがない)。それでも、いま目の前に落ちている鳥は、子供の頃からさんざん図鑑で見てきたヨタカの姿と酷似している。もう、どうやっても間違えようもないぐらいにヨタカだ。

「こんなに近くで見られるものなのか?」と思った。なにしろ私とヨタカの距離は 3 メートルほどしかない。思いっきり見つめ合っているのに相手は逃げない。このままトレイルをまっすぐに歩いたら、その距離は 1.5 メートルほどまで縮まってしまう。なんとなく、それは良くないような気がした。夜行性の鳥をライトで照らすのも、夜行性の鳥に人間が近づくのも、なんだかよく分からないけれど「申し訳ない」ような気分になったのだ。私はライトの強さを最小に落とし、まっすぐに照らさないように少し角度を変えて、トレイルの端っこ(ヨタカと逆側)を静かに爪先で歩きながら、うんと小さく手を振って通り過ぎた。通り過ぎるときに一瞬だけ間近で観察させてもらったヨタカは、ケーキナイフでクリームを撫でつけたようにツルリとした、それでいてエッジの効いたフォルムで、まるで「名菓ひよ子」のように、ちょっと上向きの顔の先端に小さな嘴がついていた。まんまるの目が光っていて、こちらをじっと見ていた。胸が苦しくなるほど可愛らしかった。

翌日の昼食時、昆虫の調査で La Selva に滞在していらっしゃる丸山宗利先生のチームの方々にお会いした。私は少し興奮しながら、「昨日、ロッジへ帰る道の途中でヨタカを見たんですよ、これぐらいの距離で、目が光ってて、でかいカエルかと思ったら、こんな感じで道に落ちてて、すげえ可愛くて」と、幼稚園から帰ってきた五歳児のように要領を得ない報告をしたのだった。そのとき、メンバーの一人の方に言われた。「え……このあたり、たしかにヨタカは見られますけど、そんなに近づけないと思いますよ?」

その通りだった。その日の夕方遅くにも、私は施設の駐車場の近くで何羽かのヨタカらしき鳥を見た。しかし彼らは警戒心が強く、少しでも人が近づくと飛んで逃げてしまう。おかげで10メートルと距離を縮めることはできなかった。それではあの日、ひとりぼっちの森で見た、あのヨタカは何だったのだろう。もしかしたらあちらは、「こんなところに人など通らない」と思って油断していたのかもしれない。ちょっと休んでいたら、とつぜん至近距離から照らされたので、驚いて身が固まってしまったのかもしれない。だとしたら、ちょっと気の毒だった。あれ以上、怖がらせなくて良かった。いまはそう思っている。