What Comes Around 2

(前回の続きですが、別に読まなくてもいいと思います)

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いまでも忘れられない記憶がある。

まだ私が幼児だった頃、「びっくり日本新記録」という番組があった。その番組は、応募した視聴者が週替わりの競技に参戦して日本一を目指すという、ちょっと気軽なSASUKEのごとき企画番組だった。その競技に優勝した人物には、番組アシスタントのキャロライン洋子から、花のレイと「祝福のキス」が与えられるのだ。

「美人のキス」を褒美とすること自体に、私は何の反感も持っていない。日本一に輝いて、勝利の女神であるキャロライン洋子にキスをされたら、そりゃほとんどの男性は嬉しいだろう。そういうところにまで「性の商品化だ」とケチをつけるつもりは微塵もない。競技を勝ち抜いた、ごくごく一般人である視聴者が、アイドル級の芸能人にチューしてもらえるのだ。たいへん夢のある話だ。一向に構わない。ただ私が許せなかったのは、この番組で開催された女性の大会の杜撰さだ。

その日のびっくり日本新記録は、女性の視聴者だけを競技に参加させる大会を開いていた。幼児の私は「優勝者へのキスはどうするつもりなんだろう」「キスはどうするつもりなんだろう」と、そればかりを考えながら番組を見ていた。相手が女性でも、キャロライン洋子が女神のキスをするのかもしれない。それはそれでいいと思う。なにしろキャロライン洋子だ。日本人の女性同士だと気まずい感じがするけれど、「西洋の美女から受ける親愛のキス」は、相手が女性でも不自然じゃないだろうし、ちょっと嬉しいかもしれない。

しかし少しでも公平を期するなら、ここは「ハワイっぽい感じのハンサムな男性」が祝福すべきだろう。それぐらいの配慮はあるはずだ。「いまをときめくキャロライン洋子」と「どこから連れてきたんだか分からない、名前も知らない外国人モデル」とでは雲泥の差があるけれど、まあ、この世界は男性中心にできているのだから、それぐらいは仕方ない。あきらめようじゃないかと。幼児の私は当時から、そのように考えていたのだ。

しかし結果は違った。ハワイっぽい男性モデルは来なかった。そしてキャロライン洋子もキスをしなかった。その日の優勝者の女性は、司会者の大野しげひさからキスを受けていた。大野しげひさだ。さっきまで番組の進行をしていた、特にハンサムでも何でもない普通のおっさんだ。それは、あんまりじゃないのか。ほかの全ての週と同じように、その優勝者も過酷な試練を乗り越えたというのに、この違いはなんだ。

おざなりだ。雑だ。適当だ。こんなことが許されていいのか。なぜ男性の挑戦者には、「一生のうち一度も会話する機会すらないような美女、あきらかに高嶺の花であるキャロライン洋子からのキス」というご褒美が与えられるのに、女性の場合は「まあ、そこにいる男ならなんでもいいでしょ」という扱いになるのだ。これは一体どういうことなんだ? ここでも「女がハンサムにキスしてもらいたがるなんて、はしたない。出来杉を選ばなかったしずかちゃんを見ろ」という、あのワケの分からない道徳が通用してしまうのか?

思えばあれが「自分が女に生まれたこと」に初めて本気で絶望した瞬間だったかもしれない。いや、二度目か三度目だったかもしれないけど。とにかく、あのシーンを思い出すだけで、いまだに私は悔しくて泣きたくなるのだ。

女性の優勝者に適当なキスをした大野しげひさは、そのあと即座に「おめでとう、日本一!」といつものコールをする仕事に戻った。なんなんだ、その片手間の祝福は。私たちは死ぬまでこういう扱いなのか? 私たちはどんなに頑張っても、こんな仕打ちを受けるのか? テレビの企画の中でさえ、ちょっと夢のような時間を得ることが許されないのか。この先、私が大人になってもいいことなんて何もないんじゃないのか。美女は誰かのご褒美になるだけ、美女以外は酷い仕打ちに黙って耐えるだけじゃないのか。

女は容姿が美しくなければ愛されない。容姿が美しくなければ人を幸せにすることもできない。存在するだけで疎まれる。ブスであることは悪いことだ。ブスがどんなに頑張っても、ブスのままだとご褒美は与えられない。しかし美人であっても傲慢になるな。美しい相手を求めてもいいのは男だけなのだから。それは、私と同世代の日本人女性たちがテレビや漫画を通して嫌というほど教え込まれ、叩き込まれ、すり込まれてきた残酷な不条理さだ。その価値観を、私たちは幼児の頃から(おそらくは無意識のレベルでも)押しつけられて育っている。

一部の女性はその価値観に適応すべく、少しでも美しくなるために努力をした。一部の女性は、わずかに残された「容姿以外に認められるかもしれない余地」を充実させようと必死にあがいた。一部の女性は愛されないこと/虐げられることを恐れずに、図太く自らの幸せを掴もうとした。一部の女性は、その価値観を丸ごと壊すため、嘲笑に耐えて戦った。そして「ぶりっこが媚びている」だの、「ブスが僻んでいる」だのと嫌いあい、妬みあい、陰口を叩き合っては互いの足を引っ張ってきた。私と同世代の女性たちは、そうやって生きてきたと思う。

それで、イケメンが何だって?

これまでドラえもんを見ても何とも思わなかった男性たち、「俺だってジャイ子は嫌だよな」と考えてきた人々が、自分が容姿による差別を受けたぐらいで大げさに拗ね、世の女性たち全般を「見た目でしか判断しない連中だ」と決めつけて非難する。そんな男を見るたびに、私は「甘っちょろいこと言ってんじゃねえぞ」と殴る蹴るの暴行を加えたくなるのだ。

見た目のいいやつと、そうでないやつの間で扱いが違いすぎる? そんなの当たり前だ、たまに例外があるかもしれない程度だ。美人じゃない女たちは、その「たまにあるかもしれない例外」の存在を信じ、日々必死になって、なんとか生き残ろうとしているというのに。そのシステムに適合したければ1ミリでもハンサムになれるように頑張ればいいだろ。その不公平さを許せないのなら、お前も本気で戦えばいいだろ。無駄を承知で、疎まれるのを承知で、「不細工のひがみだ」と嘲笑されることを覚悟して戦えばいいだろ。なぜ当然のように拗ねてるんだ。ガキか。のび太か。

しかし、ここで私が「甘すぎるんだよ」などと雑に表現すれば、「それが何だ?」と反論されるかもしれない。

「たとえ女性のほうが、男性よりも容姿による差別を強く受けているとしても、それが何だというのだ? 比較することに何の意味があるのだ。君の話は、いま『突き指をした、とても痛い』と訴えている僕に対して、『私なんて腕を骨折したことがあるぞ、突き指ぐらいで大人が騒ぐな』と唾を吐きかけているのと同じだ。君の骨折など僕は知らないし、それと僕の痛みとは関係がない、いまの僕は実際に痛いのだ」と。

それはまったく違う話だと私は考えている。これは骨折の話ではない。なぜなら、あなたも私も骨折ではないからだ。つまり「イケメン問題」には、加害者と被害者の関係性が明確に含まれている。

もちろんあなたは男性チームの代表者ではない。私はあなた一人を責めたいわけではない。それははっきり書いておく。しかしあなたは「女性を優劣で判定することを日常的に行う世界」における男性チームの一員として、いま「容姿判定」を理由に、女性チーム全体をまとめて非難している。それは私にとって、怒りを通り越してあきれるような話だ。私から見たあなたは、「これまで貴族が通常的に、平民に対して行ってきたような差別行為の一片が自分に跳ね返ってきたとたんに怒り、『我々はひどいことをしてきたのだなあ』などとは決して思わず、その憤りを全ての平民にまとめてぶつけてようとしている貴族」にしか見えないのだ。
(これまでのあなたが、男性の中にいながらも「こんなのは間違ってる、なぜ男性は、こんなにも女性を見た目だけで優遇したり貶めたりするのだ、もっと平等に扱おう」と発言し続けてきた人であるというのならば話は別だが)

たとえば一つの会社があったとする。その会社の重役たちは、平社員たちに対して歌唱力を要求する。「歌唱力があれば人間として魅力的だ」とか、「へたな歌を聴くと心が荒む」とか、「心がきれいであれば歌も上手にあるはず」とか、「うまく歌うためには努力も必要」とか、「歌が下手な人間は、だらしのない人間だから重要な仕事を任せられない」などといった理由で、すべての平社員に歌を歌わせ、それが上手であれば褒めて可愛がり、直属の部下にしている。歌唱力のある平社員は、重役を喜ばせることのできる良い平社員と見なされる。そして歌が下手な平社員は罵倒してもいい、虐めてもいいという空気がぼんやりと流れている、そういう会社だ。

平社員たちは入社式が行われた日から、マインドコントロールのような形で、その法則を叩き込まれている。もしも「僕たちを歌だけで判断しないでください」などと訴えようものなら、重役たちから袋だたきにされた挙げ句、平社員たちからも「音痴がひがんでる」と笑われるということを、彼らは理解している。だから休み時間にも黙って発声練習をするのだ。(もちろん、もともと歌が上手で、なおかつ歌うのが好きで、その環境を謳歌しているという平社員もいるだろうから、この環境が全ての平社員にとって確実に悲惨だということはない。むしろ天国だ、重役になるよりずっといいと思っている平社員もいる。そんな彼らは重役たちのお気に入りだ。重役は「前向きに歌を楽しむ平社員」が大好きなので、「みんなも彼らを見習いなさい」と他の平社員に説教をする。)

しかし、そんな横柄な会社で近年、少しだけ社風が変化した。やがて平社員たちが自分の意思を持つようになる。「……なんで平社員だけ、歌の優劣が取りざたされるのだ? 重役は歌が上手じゃなくてもいいのか?」という疑問を抱き始める。そして音痴である専務のあなたは、平社員たちから「あの重役って、歌は下手だよね」と囁かれるようになってしまったとしよう。(そうなった場合、平社員たちは「重役のあなたの歌唱力」を嬉々として話題にするかもしれない。なぜなら「歌」は平社員の格付けの道具として常に使われてきたものであるため、平社員たちは重役たちよりもずっと「歌の優劣」に敏感であり、さらに知識も豊富だろうからだ)

あなたは平社員たちに威厳のある態度で接することができなくなった。常に平社員たちから馬鹿にされているような気がする。非常に歌のうまい平社員に至っては、「真面目に仕事をしろですって? ふん、専務は歌唱力ゼロじゃないですか。専務のほうこそ努力してるんですか?」と憎まれ口を叩き、あなたを公然と馬鹿にする始末だ。ものすごく音痴な平社員だけが、あなたに同情し、仲間意識で優しく接してくれるかもしれない。それはあなたにとって、おそらくは耐えられない屈辱だろう。

その状況に腹を立てたあなたが、平社員たちに向かって、「お前らはろくでもない連中だ! お前らは上司を歌のうまさでしか判断しやがらない! 人を馬鹿にしやがって!」と言ったらどうなる? 「おまえが言うな」という突っ込みを待っているようにしか私には聞こえない。

もしもあなたが、まだ威厳のある重役であったとき、「歌で社員を評価するのをやめませんか。こんなの間違ってますよ。私は歌の下手な社員に大きな仕事を任せたい」と重役会議で訴えていたのであれば、話は大きく変わってくるが。あなたがこれまで歌の下手な平社員を相手にしてこなかったのであれば、そしていまでも「俺は歌のうまい平社員が好きだけどね」と考えているのであれば、あまりにも無茶苦茶だ。

さらに言えば。ここは普通の会社ではない。この会社では、平社員はどんなに頑張っても重役になれない。生まれたときから重役と平社員のどちらになるのかが決まっている。そういう会社で、生まれ落ちたときから重役だった(ただし歌唱力のない)あなたはいま、すべての平社員たちを恨み、「こいつらは上司を歌で差別するような連中だ、ちくしょう、許せない」と非難している。それぐらいの覚悟を持っていただきたいのだ、「どうせイケメンに限るんだろ?」という男性たちには。

あなたは、わざわざ平社員たちの神経を逆なでしているのではない。あなたはすべての平社員をひとまとめにして侮辱し、傷つけている。

なぜなら、あなたが重役である以上、あなたの言葉は、これまで虐げられた平社員にとって「平社員のくせに重役を歌唱力で判断しやがった、生意気だ」という意味に捉えられかねないのだ。「俺たちがブスを嫌うのは当たり前だけど、お前らが不細工を虐げるのは許さない、女のくせに選り好みしやがった、何様だ」と聞こえるかもしれないのだ。その点を想像してみていただけないだろうか。そんなことは分かってて、あえて言っているのだというのであれば、こちらも攻撃を受けた者として、「こいつ女から無視されてやんの、いい気味だ、ざまあみろ、まったく気分がいい」と言うしかないのだ、やってらんねえよ馬鹿。

(了)