ご無沙汰しております。いろいろあって、バンクーバーの隣町に引っ越しました。またしてもベースメント(半地下)の賃貸です。しかし以前の住まいと現在の住まいとでは、爪楊枝とサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジほどの違いがあります。一言で申し上げるなら、たいへんグレイトな新居です。
以前に暮らしていた部屋は、バンクーバーの市内に位置する兎小屋のような地下室でした。大きな一軒家の地下なのですが、郵便局員ですら入り口を探すことができないほど、ひっそりと隠された場所に存在している部屋です。この部屋を借りていたときの私は、一日のほとんどをベッドの上で過ごしておりました。それはもう、寝たきりのような生活でした。セキュリティ関係者、およびライターにとっての職業病とも呼ばれる「痔」を恐れていたから、というのは言い訳に過ぎないでしょう。もともと貧乏性な私は、自宅勤務の利点を最大限に活かしたいと考え、少なくとも一日14時間、ベッドでうつぶせに寝転がったまま仕事をしておりました。「闇ウェブ」の原稿も、「The ZERO/ONE」の原稿も、ほとんど自宅で寝転んだまま書いたものです。
それはなかなか楽しい暮らしでありました。実際のところ私は、その怪しい隠れ家のような自宅を気に入っておりました。ぜんぜん地下から出てこない、たとえ住所を伝えられてもどこに住んでいるのかが分からない東洋人女のセキュリティライターというのは、まるでドラマや漫画の登場人物(1シーズンに2、3回しか登場しないレアキャラ)みたいで悪くないと思っていたのです。しかし同時に私は「このままだと、あと数年で死ぬのだろうな」ということを、まるで他人事のように確信しておりました。なにしろ本当に、出張や旅行のとき以外は身体を動かさない、外に出ない、太陽を見ない、ほとんど人に会わない、テレビも見ない(ケーブルが引かれてない)、曜日が分からない、天気も分からない、+17時間の日本の企業と仕事をしているので体内時計もクソもない、Skypeを使った打ち合わせ以外に人と会話する機会がない、うどんの生地を踏むのが唯一の運動、という生活が長く続いておりましたため、体調も精神状態もみるみる悪くなっているのは自分でも気づいていました。ベッドからトイレまで、たった6歩で辿り着いてしまうほど狭い家の中でも、ちょくちょく転倒するほど衰えており、もはや自律神経がやられているのは明らかでした。そして転倒時の打ち所が悪ければ、誰にも気づかれぬまま腐乱死体になることが保証されたような生活でもありました。そんな私に「うちの下に住めばいいのに」と言ってくださったのが、現在の大家さん夫妻です。
こんどの家は、ちょっと都心から離れた場所にあります。車を持たない人間にとっては不便なところです。そのかわりスペシャル特典がついています。犬です。大家さんの犬です。死にたくなるぐらい可愛い犬です。素晴らしい犬です。個犬情報になってしまうので詳しいことは申し上げませんが、中型牧羊犬と大型狩猟犬(いずれも私の大好きな犬種)のミックスです。均整の取れた、見るからに持久力のありそうな体躯に、ふさふさの羽二重餅のような耳、なだらかに垂れ下がる太い尻尾、真っ黒で健康的な鼻を持った、なんとも素敵すぎる犬です。
彼女はもともとアニマルシェルターにいた犬でした。仔犬の頃は、2年間も狭いガレージに閉じ込められて虐待を受けていたため、ご近所さんの通報によってシェルターに保護され、いまの大家さん夫妻に引き取られたらしいのですが、そんな風には思えないほど温和で優雅な犬です。非常におおらかな性格の大家さんと過ごしてきたためか、カナダの一般的な犬に比べると少々のびのびしています。つまり「ビシっと躾けられて育ったタイプ」とは違って、ちょっとおばかさんに見えることもある犬なのですが、実際にはとんでもなく賢く、活動的で美しく、たいへん個性的な性格の犬です。私は心の底から彼女に惚れ込んでしまいました。
現在の私は、その犬と毎日を楽しんでおります。そして本当にありがたいことに、この家の近くには犬の散歩に最適な道がうじゃうじゃありまして、一部は Off leash trail(リードをつけずに犬と歩くことが許可されたトレイル)です。さらにドッグパークもあります。それらはスーパーマーケットやドラッグストアよりも近いのです。つまり牛乳やパンを買うよりも簡単に、リードを外した犬と森林の中を歩きまわれます。このように恵まれた環境で、私は雨の日も風の日も、毎日3km~6kmほどの距離を歩いております。「人間の足というものは、犬を散歩させるために生えていたのだな」などと確認しながら。そう、これが散歩です。犬のいない散歩は、ただの歩行です。私は生粋の貧乏性なので、一円の儲けにもならない歩行をしたくありません。少しでも身体を動かすのなら、その分の対価を得られなければイヤだと考えるような人間です。しかし犬がいるのなら話は異なります。犬との散歩は、生きる理由にもなり得るからです。
私が幼児の頃から「犬」という生き物に憧れ、渇望し、一度も夢を叶えられないまま生きてきたという背景をご存じの方であれば、現在の私がどのような状態に陥っているのかをご想像いただけるのではないかと思います。驚いたことに、私は毎日、犬と散歩をしているのです。妄想ではなくて実在の犬です。嘘ではありません。本当です。どうやら私は人生のゴールを迎えてしまいました。残念ながら私の犬ではありませんが、そのほうが良かったと思っています。彼女が自分の犬だったなら、おそらく私は仕事が手につかなくなっておりました。
そういったわけで、すっかりご無沙汰してしまっておりましたが、だいぶ精神状態がよろしくなって参りましたので、そろそろこちらのブログも再開させようと思っております。予告したままになっていた「玩具の話」も、次回に書きます。