またしてもご無沙汰です。

いろいろと身の回りの状況が変化しておりまして(いつものことなのですが)、この場所もしばらく放置しておりました。あまりに久しぶりすぎたので、ここの管理画面に入るためのパスワードを忘れてしまいました。余計なカスタマイズをアホほどかましていたために、パスワードのリセットも簡単にはできなくなっていて大変な目に遭いました。当時の私は、おそらく「セキュリティの記事とか書いてるしー」「これを破られたら危ないしー」などと安直に考えていたのでしょう。どうやら自分の能力を過信していたようです。今後は脳みそに見合ったことだけをしたいと思います。それができるぐらいなら、そもそもこんな人生にはならなかったという気持ちもあるのですが。

さて、気がついたら10月が終わっていました。昨年の10月後半の私はバルセロナとグラノリェースに滞在していました。この「グラノリェース」という、まったく聞き覚えのない場所へどうして行ったのかというと、単なるうっかりミスでした。

まず、バンクーバー発バルセロナ行きの往復チケットがとんでもない価格で販売されているのを見た瞬間に、「これを逃したら死ぬまで行けないかもしれない」と思い、いきなり購入ボタンを押したというのがすべての始まりでした。その後、バルセロナのホテルの値段に驚愕した私は、そのときになってようやく飛行機の発着日を確認しました。滞在期間が半月もありました。こんなに宿泊費の高い場所で、そんなに長く滞在できるわけがないじゃないかと絶望しながら、それでも宿の検索を繰り返しておりましたところ、急に平日3千円ぐらいの安ホテルが見つかりましたので、「うわ、あるところにはあるじゃん」と喜んで、とりあえず最初の3泊だけを予約してから出発することにしました。

そしてバルセロナの空港に到着した私は、ホテルのウェブサイトに書かれていた案内を読みながら電車を乗り継ぎました。しばらく列車に揺られたあと、ホテルの最寄り駅で下車してみると、その駅前の景色は「テレビで見たことのあるバルセロナのイメージ」とは大きく掛け離れていました。のんびりしています。車がなければ住めない雰囲気です。どこに行っても英語が通じません。宿まで乗せてもらったタクシーの運転手さんすら英語を解してくれません。世界に名だたる観光地なのに、さすがにおかしいだろと思い、翌朝によくよく調べてみましたところ、自分はグラノリェースという名前の小さな町にいるのだということが判明しました。つまり最初からバルセロナの宿を予約していなかったのです。東京だと思ってたら甲府だった、ぐらいの感じでしょうか。道理で安かったわけです。

しかしグラノリェースは、仕事の合間にぶらぶら歩くには最高の町でした。安ホテルも非常に清潔で、なにより24時間無料のコーヒーマシン(エスプレッソベースのメニューボタンが15個ぐらい)が設置されているのが素晴らしかったです。まるで「田舎の国道沿いにあるモーテル」のような立地だったため、マクドナルドか冷凍食品以外のものを食べたいのなら2キロほどの坂道を歩かなければならない、という条件は厳しかったのですが。だからこそ気が散らないということもあってか、怖いぐらいに仕事が捗ってしまう静かな場所でした。自分がThe ZERO/ONEさんに寄稿した原稿の中で過去最長となった「ブライアン・クレブスを襲った史上最大級のDDoS攻撃」も、ほとんどここで書きました。もしも将来カンヅメというものを経験する機会があるのなら、ぜひとも指定したいホテルです。一泊3千円ですし。

とはいえ、このまま同じところにいるとガウディの建築物ひとつ見ないまま帰宅することになってしまいそうだったので、さすがにバルセロナへ移動することにしました。バルセロナでは久しぶりにAirbnbを使いました。なにしろホテルが高すぎたからです。どの家主さんも英語が半分ぐらいしか通じませんでしたが、意外とどうにかなりました。どこへ行っても予想外の事件がいろいろ発生して面白かったです。しかし「バルセロナで賃貸部屋の一部をAirbnbの客に貸し出すこと」は法的にグレーだったらしい、というより、ほとんど黒だったようにも見えるので、あまり詳しいことは書かずにおきます(「泊まる側」は問題ないらしいのですが)。

私がバルセロナで何をしていたのかというと、だいたい朝にパン屋さんで何個もパンを買ってました。スペインは普通のパンが美味しいので、炭水化物馬鹿としてはパンを食べずにいられなかったのです。それを延々と囓りながら仕事して、休憩したくなったらカフェでコンレチェを飲んでました。コルタードよりもコンレチェのほうが20円ぐらい安かったからです。夕方には適当に観光をしてました。その半分はサグラダファミリアでした。なんべん見ても飽きなかったからです。そして夜になったらスーパーで適当に食べ物を買ったり、安そうなバルに入ったり、買いすぎたパンの残りを食べたりしてました。「予算は往復チケット込みの10万円で、仕事に穴は開けない」という無謀な条件だったとは思えないほど充実した旅行になったと思います。ちょっとだけ予算をオーバーしましたし、レストランでパエリアを食べたりすることはできませんでしたが。

それからちょうど一年が経過して、バルセロナは大変なことになりました。

私はバルセロナに滞在したとき、町の中心部にある一般家庭の部屋ばかりを借りていました。それらの周辺を何度も迷子になりながら歩き回っていたので、ニュースで見る場面の多くが「あの家のすぐ近く」でした。とても見覚えのある道路が市民で埋め尽くされている光景は、大いにショックでした。

今後のバルセロナがどのようになっていくのか、どうなることが市民にとって本当に幸せなのか、私には少しも分からないので迂闊なことを申し上げるつもりは一切ありません。ただバルセロナのアパートメントに住んでいる普通の方々が、どれだけカタルーニャ文化を誇っていたのかという点だけは、しっかり記憶したうえで考えるべきなのだろうなと思っています。

旅の最終日は10月31日でした。最後の飛行機を降りようとしたとき、隣に座っていたご婦人から「Happy Halloween!」と言われたことを不思議なぐらい鮮明に覚えています。毎年ハロウィンの季節になるたび、自分は「いまのバルセロナ」について、今後もあれやこれやを考えることになるのだろうなと想像しています。