Queenish

Sという友人がいる。ネパール人の彼は、米国の名門大を卒業した超インテリ野郎で、素晴らしい部屋に住んでいて、その部屋に飾られている家族の集合写真(王家の戴冠式かよって笑いたくなるほど荘厳な雰囲気)を見るだけでもバリバリの富裕層だと分かる坊ちゃんなのだけれど、どういうわけだか低学歴で貧乏人の私と仲がいい。

彼の仕草や口調は、日本でいうところの「おねえ」タイプだ。50近いおっさんなのに上目遣いの笑顔が可愛らしいという点はなんとなく腹が立つし(嫉妬)、いちいち服装やインテリアがお洒落なところも腹が立つし(嫉妬)、やたらセルフィばかり撮るナルシストなところも腹が立つし(嫉妬)、Sの彼氏がSより20歳も若くて頭脳明晰な青年だという点も非常に腹が立つ(完全に嫉妬)。つまり私とは正反対の要素が多い。それなのになぜか、特に理由もないまま会ったり話したりできる、とても貴重な友人だ。

先週、そのSと2人でコーヒーショップに入ったとき、いきなり尋ねられた。

「ねえねえちょっとあんた、そういえば、あの男は誰なのよ」(※)
「男って?」
「あんた、Facebookに男の写真を載せてたでしょ。なんなの、新しい彼氏?」
「どうせ見るんなら、説明文も読んでよ。あれはブライアン・クレブス様です」
「誰?」
「米国のジャーナリストで、セキュリティ系のライターにとっては神様みたいな人なんだよ。この人の半生が映画化されるって噂もあるぐらい。私もすごく憧れてたし、ずっと会ってみたかった人で」
「やだ怖い、海外まで行ってストーカーやってんの」
「しないよ!」
「じゃあ、なんで会ったの」
「取材でイベントに行ったら、たまたま会えた。『いつもブログ読んでます、あなたのファンです』って言ったら、ちゃんと話をしてもらえて、写真も撮らせてくれて」
「へーえ」
「『この写真、Facebookで自慢してもいいですか』ってバカなこと訊いたんだけど、『もちろん』って笑ってくれて」
「よかったじゃなーい」
「それだけでも感激だったのに、握手(シェイクハンド)してもらえたし」
「そんなに好きなら、違うとこシェイクしちゃえば良かったのに」
「ばか!」
「『ごめんなさい、これは日本式の握手ですから』って言えば」
「どんな国だ!」
「案外、そこから素敵なリレーションシップが始まるかもしれないじゃない?」
「警察が来て終了だよ!」

このとき気づいた。もしかしたら私とSは、許容できる下ネタの種類と、人の話に割り込みたいタイミングが似ているのかもしれない。

カナダ人は基本的に、大人同士が会話をするときは相手の発言を最後まで聞く。相手が話している最中は、がっつり相手の目を見ながら肯定的な相づちを打つだけで、自分のターンになるまで話さないことが多い。よほどのことでもないかぎり、相手の言葉を遮って何かを述べたりしない。(これを理解していないと、単に会話のキャッチボールが遅い人たちにも見える)

それは、アジアと比較したときの「欧米全域の傾向」なのかもしれないけれど、米国よりカナダのほうが特に徹底しているように私は感じる。ちなみに私がバンクーバーの移民用の就業訓練コースに通っていたときは、相手の話を遮って自分の意見を述べた生徒が、「そのようなことをすれば、相手を尊重する意思のない人間だと見なされる。カナダの職場では受け入れられないことだ」と教師から注意されるシーンを何度も見た。いや、正直に言おう。私自身も注意された。

ついでに言えば、彼らは相手の話を聞いたあとで、「君は間違ってる」とか、「私は全然そうは思わない」というような、安直でネガティブな否定を避ける傾向がある。相手の発言の中から少しは共感できる部分なり、あるいは事実として認められる部分なりを拾いあげたうえで、いちいち「この点については私も同意する(一理ある、事実である)。しかし私は違う考えを持っている」といった切り口から反論することが多い。感情にまかせて条件反射で怒鳴るガキみたいな大人は、あまり見ない。というより、泣いてグズっている本物のガキから、「あなたの言うことは分かるし、僕のために言ってくれてるんだと思うけど、僕はあなたに同意できないんだ」と言われてビビったことがある。

だから彼らの会話は、とても行儀がいい。本当に行儀がいい。本気で怒ってるかどうかも見分けやすい。彼らが「黙れ」と言って自分の意見を怒鳴りはじめたら、おそらく私は「もう会えないかも」と感じるだろう。(ただし親友同士なら、そういう無礼な会話も普通に行われたりするらしい。とはいえ、日本にいたときからフランクな人間関係の構築を苦手とし、親友に対しても敬語を使いがちだった私にとっては、「第二言語で喋る友人と、そこまで深いつきあいになること」が難しすぎるので、実際のところがどうなのかはよく分からない)

私は落ち着いて話せる礼儀正しい人が好きだし、彼らを尊敬すらしているのだけれど、時として、ちょっと重苦しく感じることもある。ただの雑談なのに「思いっきり耳を傾けられているなあ」という感覚に陥り、緊張して言葉が出づらくなることがある。いまの自分は途方もない馬鹿に見えるんじゃないか、という被害妄想に陥ることすらある。だから私が話してる最中に、いいタイミングで、いい具合に(ちょうど私好みのレベルの)下品なバカ発言で、気持ちよく私の邪魔をしてくれるSのことが大好きだし、彼といるときの私は、たぶん普段より何倍も流暢に話せるのだ。

*

※註……Sの台詞を、いわゆる「女性言葉」に翻訳するのは差別的だと感じられるかもしれないので書いておく。英語の場合は表現にセクシャリティがないので、男性も女性もまったく同じ言葉を使う、というのは嘘だと私は思っている。Sの単語選びや言葉回しは、極めてソフトで女性的だ。たとえば彼は、何かを強調するときに soooo を使う。女性が使いがちな言葉(super cute とか、adorable とか、fabulous とか)を多用し、yeah とか hey とかは言わない。発声の仕方(うまく表現できないけど、口の中で力を入れる筋肉のパーツによる音の違いっぽいもの)も、両手のジェスチャーも女性的だ。私は彼と喋っているとき、「いまの台詞を日本語にしたら、語尾は『だわよ』だな」などと考えながら話を聞いている。この発言が、あなたにとってますます不愉快なものに当たるのであれば、あとは「申し訳ない」と謝るしかない。