Pretty Good

一昨日は、女性の友人4人と食事した。近所のコーヒーショップとスーパーマーケットを除外すれば、今年初の外出だった。ついでに、コーヒーの注文以外で英語で喋ったのも今年初だった。というより、今年はまだ誰かと会って会話をしていなかった。わりと緊張した。

高校生を対象に数学の家庭教師をやっている香港出身の友人 A(老犬リッキーさんの飼い主)は、現在 5 人の生徒を掛け持ちしている。そのうち 1 人の生徒が学習時の態度が悪く、宿題もせず、成績がまったく上がらないので、しょっちゅう親御さんと話し合いをする羽目になっているのだそうだ。そんな愚痴を A が口にしたとたん、あとの 3 人から一斉に突っ込みが入った。

「なに言ってんの、自分の身は自分で守らなくちゃ!」
「話し合いで解決するなんて呑気すぎる、これはビジネスでしょう?」
「あんたは評判で食べてるんだよ、『あの教師は教え方がヘタ』とか言われたら、完全に営業妨害になるんだから」
「『以上の条件を満たさない場合、あんたの息子に教え続けることはできません』って、あんたから提示しないと解決しない」
「クライアント一人ぐらい失ってもいいでしょ、評判のほうがずっと大事なんだから!」
「とにかく、話し合わずに手紙を書きなさい。ちゃんと書面にしてコピーを取って、公式な文書としてサインさせるの」
「ぼんやりした条件を出しちゃダメだよ、ぜんぶ具体的な数字を出して書いて。日付も入れて」
「メールで出したいのなら、必ず BCC でソーシャルワーカーにも送りなさい」
「何があっても大丈夫、ちゃんと一緒に解決していこう、困ったことになったら助けてくれる人がいるから」
「あんたは気が弱そうに見えるから舐められるんだよ、もっと食べなさいよ肉を」

そして A の皿に肉が盛られていく。

私は A と同様、どっぷりとアジアの感覚にひたりながら育った女なので、「クライアントからお金を貰っている以上、なるべく物事を荒立てたくない」という A の言い分が痛いほど分かる。しかし、「そうだよねえ、そういう親もいるから、家庭教師は大変だよねえ」などという、毒にも薬にもならない私の相づちなど、北米での生活が長い皆さんには瞬時に流されてしまう。それは解決に向かうアイディアではないからだ。

実際、そのほうがいいのだろう。「嫌だねえ」「辛いねえ」「分かるわあ」なんて言いながらメシを食っても、あまり美味しくないからだ。それよりは「これは戦いなんだから、ちゃんと肉を食え」「おう、分かったぜ」みたいな感じで食べるほうが美味しいだろう。しかし、そうとは分かっていても、カナダにいる人々というのは、徹底的に愚痴を許してくれないタイプが多いよなあとも思う。というより、それが愚痴であるということに最初から気づいていないのかもしれない。

そんな彼女たちが嫌いではない。気持ちのいいやつらだと思う。ただ、私はネガティブを絵に描いたような性格の人間なので、彼女たちと話すことがほとんどないというのも事実だ。「最近、仕事どう?」と尋ねられても、「す、すごくいいよ」以外に何も言えない。

※ 追記……大事なことを書き忘れていた。A の生徒は 5 人ともインド人の高校生男子だ。あまり差別的なことは言いたくないのだけれど、もしかしたら一昨日のメンバーは、その点も考慮していたのかもしれない。
もちろんインド人全員がどうという話ではない。私の経験を語らせていただくなら、大半のインド人のクラスメイトとは普通に会話が成り立った(むしろロシア人のほうが「厳しいなー」と思わせる人の率は多かった)。ただ、「たまに、まったく信じられないほど、もう笑うしかないほど強引な人がいる」というのが、これまでにカナダ国内で見てきたインド人の方々に対する私の正直な印象となっている。(例:移民が通う無料の英語学校の生徒でありながら、「自分は米国人と同じぐらいに英語が話せるのだ、子供の頃から英語で育ってきたのだ、だからあなたのほうが間違ってるのだ」と、非常にインド訛りの強い、文法ミスだらけの英語でカナダ人の教師にケチをつけるなど)
とはいえ、彼らは彼らで非常に面白かったから、決して嫌いではなかった。