コスタリカでは、自分の英語力の低さを改めて実感した。私が英語で会話できるのは、あくまでも日常会話とサイバーセキュリティの話題と、あとは学校の授業で何度もエッセイを書かされたようなテーマ(地球温暖化とか、文化の多様性とか)だけなのだなと思い知らされた。ほんの少しでも専門的な話になると、「その話題で使われがちな単語」が、ぜんぜん出てこない(あるいは知らない)のだ。
たとえば野鳥の話題。日本語であれば、私は普通のバードウォッチャーの話題についていける。自分の思っていることも表現できる。しかし英語では、てんで話にならなかった。たとえば「波状飛行」や「滑空」がとっさに出てこないだけなら、手を使ったジェスチャーで誤魔化せるけれど、「地鳴き」とか「ねぐら」とか「蜜食性」とか「相利共生」とか「羽繕い」とかが少しも言えないと、いちいち困る。なんとか知ってる言葉で説明しようとしても、趣旨を誤解されてしまったり、あるいは「蜜(nectar)」すら思い出せなくて余計にイライラしたり、といった調子なのだ。それは「脆弱性」「諜報行為」「危殆化」に該当する英単語を知らないまま、サイバーセキュリティの話をするようなものだった。
なにより困ったのは、「鳥の分類」の固有名詞がほとんど分からなかったことだ。「オオハシ」とか「オウム」とか、そういう一般的な単語は分かる。しかし、日本の野鳥の話をするときにさんざん慣れ親しんできたはずの「スズメ目××科」あたりの言葉をほとんど知らない。これはプロの鳥ガイドと会話をするとき、かなりの焦燥感に駆られる問題だった。
もちろん、900種もいるコスタリカの野鳥の名前を覚えられるわけがないのだけれど、せめて「××科」ぐらいは大まかに分かっていなければ苦しい。たとえば、「あれは Flycatcher(ヒタキ)じゃなくて Tanager(フウキンチョウ)だよ」とガイドに言われても、ぜんぜん分からないから、「ああ、はい」みたいなボンヤリとした受け答えをして、あとはニヤニヤ笑うだけなのだ。日本に(事実上)野生のフウキンチョウが一種も生息していないことを考慮してもなお、鳥ファンの一人としては非常に屈辱的な状況である。
しかし、それ以前の問題として、「ごくごく基礎的な英単語を思い出せない瞬間がある」という点にも気づかされた。たとえば La Selva Biological Station の食堂で鳥類学者のお姉さんと会話していたとき、とある単語をド忘れしてしまった私は、すぐ近くにいらっしゃった丸山宗利先生にお尋ねしたのだった。
「あのー、すみません。日没って英語でなんていうんでしたっけ」
「えっ?……sunset……ですよね?」
「ああっ、そうだ」
「江添さん、何年カナダにいるんですか!」
恥ずかしいというより、むしろ怖かった。これは英語ではなく、老化現象の話だと思う。こないだも、日本語の「ろうと」という単語がまったく出てこなかった。こういうの。こう。下のほうが細くなるやつ。こう。(両手で漏斗の形を作りながら)