ハチドリ大作戦(その 1)

コスタリカに行く前から、ハチドリに会えることを楽しみにしていた。それと同時に、いろんな意味で、ハチドリのことはあきらめようとも思っていた。

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私はハチドリが大好きだ。あのキクイタダキより一回りも二回りも小さなボディ、鳥とは思えない高速の羽ばたき、何かパーツが足りていないのではと思わせる全体のライン、スッと長く伸びる嘴、ホバリングから自在に方向転換する昆虫のごとき飛行、薄い瓦のように整然と重ねられて不思議に色味を変えながら輝くメタリックな羽根、そして、きょとんとした表情にも見えるつぶらな目の配置。日本から出る機会など一度もないまま死ぬのだろうと思っていた10代の私にとって、ハチドリのすべてが憧れだった。

それから長い年月が経って、私は「ひっそりと北米に一人で暮らすフリーランスの翻訳ライター(貧乏だけど、どこにいても働ける)」という立場になった。おかげで、これまでに何度か野生のハチドリの姿を観察する機会にも恵まれた。しかし「ああ、こりゃ無理だな」というのが、生でハチドリを見たときの私の率直な感想だった。だからコスタリカのハチドリに関しても、あまり期待しすぎないようにしようと。そう思ったのだった。

◇「無理だな」の理由その 1: まともに見られない

ハチドリはあまりに小さくて、落ち着きがなく、動くスピードも速すぎる。そのため私の貧弱な肉眼(網膜剥離で片目が働いてない/コンタクトレンズ着用時でも免許がギリギリ取れる視力)ではまともに観察できないのだ。かといって双眼鏡やスコープで、ハチドリの姿をとらえるのも簡単ではない。

この問題を迂回する方法はある。「餌付け」だ。ハチドリ用のフィーダーを設置している場所へ行けば、かなりの至近距離で、落ち着いてハチドリを観察できる。場合によっては「ほとんど人の手から蜜を吸っているような状態の」ハチドリを観察することもできるだろう。

しかし、それは私の見たいハチドリではない。私が見たいのは、とつぜん私の目の前に現れ、ごく当たり前のように花の蜜を吸う、野生のハチドリらしいハチドリの姿なのだ。たとえコスタリカにフィーダーを用意している施設があったとしても、私はそれを見て満足することができないだろう。ああ、もう、いちいちうるせえ。おまえは面倒くせえんだよ。まったくだ。反論する気も起こらない。ごめんな。

◇「無理だな」の理由その 2: 種類が多すぎる

ハチドリはむちゃくちゃ種類が多い。IOCに確認されている数だけでも338種類いる。そのうちコスタリカで見られるものは50種前後と言われている。50種。しかも見分けのパターンが複雑だ。ついでに言えばハチドリの羽根は、光の当たり方と角度によって色が大きく異なって見えたりすることもあるから厄介だ。ぜんぜん覚えられる気がしない。(色変わりの極端な種の例:Anna’s hummingbird

せめて全8種ぐらいで、なおかつ分かりやすい判別方法がないと困る。なにしろハチドリはまともに観察できないのだから。「一瞬だけ自分が出会えたハチドリが、どのハチドリだったのか特定できないまま終わる可能性」が極めて高いじゃないか。これは私のようなタイプのバーダーにとって致命的な話だ。

ここで解説させていただきたい。大まかにいえば、大人のバーダーは 2 つのチームに分けられると思う。

  1. 鳥に出会ったとき、どこでいつ、「どの鳥に会ったのか」を記録できないと死にたくなる人間。
    (「日本野鳥の会」のフィールドノートと野鳥チェックリストを購入したことがある人は、たぶんこっちに入る)
  2. 鳥の名前や生態を知らなくても、純粋に「美しい鳥の姿を愛でる」ことを楽しめる人間。
    (実は、バズーカのような超望遠レンズを持った高齢者の大半がこっちだ)

この2つのグループは大きく価値観が異なるので、同じ愛鳥家同士で会話をしていても、時として微妙な、あるいは険悪な空気になったりするのが面白い。

私は前者である。当たり前だ。日常生活の中で、なめるように野鳥図鑑を見ながら、その鳥との出会いの瞬間を悶々と妄想するタイプの陰湿な人間は、必然的にこっちのチームに入ってしまう。このチームの人間は、自分が目にした鳥の姿から「種を特定できる特徴」をびしっと見出し、「××だ!」と確認した瞬間に激しいエクスタシーを迎えるという厄介な性癖を持っている(たぶん)。

そんな人間が、もしもコスタリカでハチドリを見たらどうなる?「あ、ハチドリがいる」「行っちゃった」で終わってしまう。まるで悪夢のようだ。相手が誰なのかも分からないまま別れてしまうのなら、そんな出会いは悲しすぎるじゃないか。

◇「無理だな」の理由その 3: 撮りたくなるから危険

私は最も多感だった時期、うかつにも「冬の知床に来る猛禽類の姿を写真に収めてみたい」という無茶な野望を持ってしまったため(レンズ沼というものについて教えてくれる親切な大人は周囲にいなかった)、あまり授業にも出ず、クソ安い時給のアルバイトをしまくり、中古のα7700i と、シグマの 400 ミリ単焦点 APO レンズと三脚を購入した。16歳の冬、赤いラインの入った白いレンズを初めて手にしたときの、あの小便を漏らしそうなほどの嬉しさは、いまでも忘れられない。

大人になってからは色々あって、ほとんどフィールドへ出られなくなってしまったけれど、いまでも鳥を見るたび「撮りたい」という欲望が煮えたぎるのは止めることができない。まして美しく可憐に輝くハチドリに何度も会ってしまったら、私はきっと我慢できなくなるだろう。しかし、目で種類を特定することさえ難しい飛びものを「撮影」するという状況は、想像しただけでも胃が痛む。

あんな小さくて動きの速いものがファインダーに入るか。たとえ入ったとしてもピントを合わせられる気がしない。まして現在の私は一眼のカメラも単焦点のレンズも持ってない。いくら愛機とはいえ、もたもたした望遠ズームのコンデジで、そんな鳥を撮れるわけがなかろう。たとえ何枚か撮れたとしても、悲惨な仕上がりになるのは分かりきっているじゃないか。しかし、頭の悪い人間というのは「無理難題」であるほど無駄に頑張ってしまうのだ。そして私は何日も何日もハチドリを探してはシャッターを切り続け、貴重なコスタリカの滞在時間を台無しにするのだろう。可哀想だ。誰か止めてやれ。

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そういったわけで。コスタリカのハチドリを生で楽しもうなんて考えちゃダメだ、こういうときのためにプロの方々がいるのだからシロウトは無茶をするな、なるべくハチドリに気を取られないように頑張れと。私は自分に言い聞かせてから、コスタリカ行きのチケットを買ったのだった。

つづく

◇おまけ
文字ばかりになってしまって申し訳ないので、最後に米国の Hilton Pond Center(非営利研究団体)によるコスタリカのハチドリのページを紹介させていただきたい。
私にとっては、完全に「反則」となる写真がほとんどなのだけれど、ハチドリの身体を細部まで見たい方には素晴らしい資料なので、是非。