ハチドリ大作戦(その 4)

前回のつづき】

サラピキ最終日の朝。

少しでも慣れているほうが有利だと思った。だから、過去 2 回と同じ場所でハチドリを撮るつもりだった。しかし、その日の私は「光の当たり具合が絶妙によく、背景のごちゃごちゃも防ぎやすいうえ、見事にオウムバナが咲いているので、ハチドリが来そうな雰囲気も漂っている」という素敵なスポットを、たまたま見つけてしまったのだった。

どうしよう。ここで撮りたい。昨日までの場所より、こっちのほうが好条件なのは間違いない。この場所で、カメラの設定をぜんぶ先に調整して、レンズを伸ばしっぱなしにしたまま待てば、けっこういい写真が撮れそうな気がする。問題は、いま一羽もハチドリがいないことなのだけれど。これは必ず来る。来るような気がする。来ない理由はない。来てくれることを信じよう。

まるで昭和の愛人のような健気さを遺憾なく発揮し、その炎天下のスポットにどっかりと座り込んだ私は、すぐに本日の作戦を立てはじめた。このあとハチドリが来たとき、どのようにして撮るのか。ただ姿を追いかけて、ファインダに入れてシャッターを切っても、ひどい仕上がりになることは分かっている。とはいえ、「クソ重い三脚に、150 万円クラスのバズーカ型レンズを据え置きし、0.1 ミリの誤差もなさそうな置きピンで待ち、親の敵でも討とうとでもしているかのような超高速連写で撮る人々」と同じ手法を真似しても無駄だ。このカメラの欠点をカバーしつつ、全滅のリスクを減らすにはどうしたらいいのか。あ、いま私、すげえ真剣だ。

真剣になるのも当然だ。これは卑屈に笑うための撮影ではないからだ。葉さんの写真より見劣りするから、などという「当たり前すぎること」を理由にふざけてはならない。「ま、この程度でようござんしょ? こちとら所詮、安いカメラ持ちでございますからね、最初っから本気で撮っちゃあいないんでさぁ、へへへ」などという軽薄な態度をとるのはもう終わりだ、このカメラを選んだのは私なのだから。

そうか。いまさら分かったぞ。写真というのは、すべてが選択の結果だったのだ。それはカメラを買う/買わないから始まっている。その後のカメラ選びも、何を撮るのかも、被写体の探し方も、撮影する場所や時間も、そこで設定した一つ一つの数値も、「無数の選択肢の中から一つ選んだ結果」だ。ぜんぶが一枚の写真に結果として出る。そこに言い訳の挟まる余地なんて、もともと最初からなかったのだ。あれ、なんで私、いまこんなこと考えてんだろう。暑さのせいでおかしくなってる。いいからまじめにやれ、まじめに。

そんな調子で 3 時間ほど同じ場所に留まった私は、期待した通りに現れてくれた 2 羽(1 羽ずつ 2 回、たぶん違う個体)の Scaly-breasted hummingbird を存分に撮影することができたのだった。ありがとう葉さん。もしもあなたがいなかったら、私は真剣にハチドリと向き合えなかった。あの憧れのハチドリをカメラに収めることができたのは、本当にあなたのおかげだ。ありがとう。いいから早く写真を出せ。そうだね。じゃあ、そろそろいくよ。一応、クリックで拡大するぞ。

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うとうと

 

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はっ。

 

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茎に乗る。

 

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横着をする。

 

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様子を窺う。

 

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蜜を吸う。

 

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やれやれ。

 

s-P1040707
見ましたね?

 

s-P1040693
蜜を吸う。

 

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さらに吸う。

いい写真かどうかは知らないけれど(……というよりは、上級者であれば右側の太い茎を避けて撮ることができたのではないかと思うけれど)、私は最後の一枚が気に入っている。いかにもハチドリっぽい写真だから、ではない。胸の薄い鱗模様、尾羽の両サイドの白い模様、そして目尻の小さな白のワンポイントと、Scaly-breasted hummingbird の特定要素を盛り込んだ写真で、なおかつ「ハチドリの特性となる行動のひとつ」のシーンでもあるからだ。

どんなに美しい写真よりも、こういうものを撮れたときに、私は興奮するのだ。だから充分すぎるほど満足した。ありがとうハチドリの皆さん。ありがとうサラピキの皆さん。

(本編終了。あと一回だけ、おまけがあります