I know.

コーヒーショップで仕事をしたあと、家に戻る途中で、ご近所の庭に目を向けた私は、その場に呆然と立ち尽くしていた。

つい数秒前までの私は、けっこう自分の人生に満足していたはずだった。でも違った。私の人生には、ほとんど子犬がいなかった。もちろん「子犬を自分のものにしたい」なんてことは考えもしないし、もしも万が一、この先の自分に犬を飼える機会が来るのであれば、そのときはシェルターから成犬を引き取るつもりだ。つまり私は子犬を手に入れたいわけではない。それでも「子犬と触れあう機会が、ほとんどまったく無かった人生」は、あきらかに不幸だと思った。私が子犬に接触できたのは小学生のとき。岡本さんの家のクロコさんが出産したとき、あの一回だけだった。そこから約30年間、私は一度も子犬に触れていない。日本にいたときの私は、ペット業者に販売されている子犬を抱っこして笑えるほど単純な人間ではなかった。そして、このバンクーバーでは犬や猫の展示販売が禁止されているので、子犬にお目にかかる機会さえ滅多にない。つまり小学生のときの一度きりのチャンスで、「私の子犬タイム」は終了だったのだろう。

そう、私が目を向けた庭には、ゴールデンレトリバーのお母さんと、むくむくの子犬が二匹いたのだ。子犬が。

そのときの私がどのような表情をしていたのかは分からない。しかし、ただならぬ気配を察したのか、私の存在に気づいた飼い主さんらしき女性が声をかけてきた。

「はーい。犬が好きなの?」

私は、相手に聞こえぬほど小さな声で「absolutely」と呟きながら、こくこくと何度も頷いていた。

「抱っこしてみる?」

その金髪のお姉さんは、まるまると太った子犬をひょいと拾い上げて言った。

「あ、あ、あ、いいんですか」
「もちろん」

彼女は私に近づいてきて、ころっころしたむくむくの子犬を私に手渡した。温かい。子犬の匂いがする。むにむにしている。どっしりと重い。眠そうな目で私を見上げる、その物体を両腕で抱えた私は、半泣きで小さく叫んだ。

「おーまいがー」

彼女は頷きながら、ただ I know. と言った。

「おーまいがー」
「あいのー」
「おあー」
「あいのー」
「あうー、はうぇあー、おーまいがー」
「あいのー」

その後、少しだけ冷静になった私は、これが人生で最後のチャンスなのかもしれないということに気づいたので、勇気を振り絞って彼女に尋ねた。

「あのう、死ぬまでにどうしても一度、やってみたかったことがあるんです」
「なに?」
(道路に寝そべって)「この子を顔に乗せたいのです」
「やりなさい、やりなさい」
「おーがっ、いえす、おーーーいえす」
「あいのー」

そういったわけで、いま私の顔面には、30年ぶりの子犬の香りが残っている。幸せだ。もちろん顔は洗わずに寝る。