Dishonor

怒られたので書く。

「そうは言っても、炎や瓦礫の中、命がけで救助している方々を見ても、あなたは感動しないのですか。素直に頭が下がるという気持ちはないのですか」と問われているのなら、私は答える。

「そのような『安直な感動』で思考を停止させようとする動きこそが、私にとって、この世で最も醜いと思うことの一つです。あなたがそれを押しつけるのであれば、私は全力で抵抗します。あなたが救助シーンを見て感動しようと、それを再生しながらエアロスミスの I don’t want to miss a thing をBGMに流して泣こうと、私はあなたの趣味に口出ししません。ですから、あなたも私に強要しないでください。以前にも書いたことですが、炎の中で子供を救助する人よりも、普段から火災を防ぐための努力や研究をする人のほうを、私はより高く評価します。たしかに、土壇場でも怖じ気づかないプロ根性は素晴らしい、尊敬に値するとは思います。しかし、私にとってそれは、『どんな現場でもきっちりと勃起するAV男優』に対する尊敬のまなざし、さすがはプロだぜという気持ちと同じです。また『危険を顧みない』ことが美しいというのであれば、満足に訓練も受けられないまま国道に放り出される日給9千円の交通整理のアルバイトはどうなのでしょう。あるいは売春婦や風俗嬢はどうなのでしょう。そういった仕事に就く人々は、単に命がけであるだけではなく、金銭的な保障もろくに得られていないうえ、クズみたいな連中から蔑まれることもあります。そんな彼らには何の思いも馳せることなく、『ビジュアルで分かりやすい危険』と向き合う、恵まれた体躯の人々だけを過剰に英雄視する風潮が、私は本当に大嫌いなのです。『しかし、人の命を救う仕事が素晴らしいのは当たり前だろう』というのであれば、私は飢餓の国の現場に食料を運ぶ人のほうがよほどヒーローらしいと思いますが(なぜなら彼らが救う相手は、本当に誰からも助けてもらえなかった子供たち、まだ何のチャンスも与えられていない大勢の子供たちであり、また、そこで働く彼らは『現地での感染症』や『見返りの少なさ』、『価値観の違う人々に囲まれた無法地帯での生活』、『偽善者と罵られるリスク』など、瓦礫より恐ろしいものと戦っているからです)、しかしそれぞれの仕事にはそれぞれの役割があって、誰かがどれかに就かなければならないのですから、それらを比較することに意味はないかもしれません。つまり、『実際の被災地へ颯爽と乗り込み、肉体的な活動で、被災者を救出する人間こそがヒーローだ』というのは、私にとって薄気味の悪い話なのです。もしも私が将来、消防隊員なり救助隊員なりに命を助けてもらうことがあったとしたなら、私はおそらく感謝の言葉を述べるでしょう。しかし、それは、私が日々の生活の中で利用しているバスの運転手やスーパーのキャッシャーに『ありがとう』と言うのと、何も変わりません。そもそも、小学生ならまだしも、いい年をした大人が、プロとして働いている人間を見て、『炎の中から子供を助けたから、あの人はヒーローだ』などと言うのは、少しも恥ずかしくないのだろうか、本気で言っているのだろうか、もしかして冗談なのだろうかと、私は疑問に思っているぐらいです」